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【開館時間】
午前9時~午後4時30分まで
(入館は午後4時まで)

休館日:月曜日

(祝日の場合は翌日)

年末年始(12/29~1/3)

【入館料】
 無料

 

「戦時下の青い目の人形と答礼人形」

 

「戦時下の青い目の人形と答礼人形」武田英子 氏

「戦時下の青い目の人形と答礼人形」武田英子 氏
 
埼玉ピースミュージアム オリジナルアニメーション映画
「平和の使者-青い目の人形物語」 完成記念講演
私の作品のテーマは、いつも平和を問うということでございましたので、その原点から青い目の人形の掘り起こしも始めたわけです。それがまた一つの実りとして、全国でだれも手がけたことのないアニメーション映画として今日皆様に公開されるわけです。
 今年はさまぎまな行事がございましたが、その締めくくりとして、本当にすばらしい贈り物が埼玉県平和資料館から皆様にプレゼントされるということで、本当に喜びいっぱいで参りました。
 青い目の人形というものはどういうものか、もう皆さんざっとご承知だと思いますが、今から68年前、1927年、ちょうど時代が昭和に変わった時期にアメリカから贈られてきた人形です。
 私が人形のことを調べ歩きながら、一番疑問に思ったのは、この時期になぜこんなにたくさん贈られて来たのかということでした。初めは、ただあちこちで人形が見つかった、由緒のある人形である、アメリカから来た「友情の人形」と呼ばれていた人形であるというようなことしかわかりませんでした。
 
 

 実は、埼玉県から出られました、本当にすばらしいお仕事をした日本近代化のリーダーと言われています渋沢栄一さんも、このことにもちろんかかわられておりまして、たくさんの資料が残されております。そうした資料や方々で聞き集めたこと、そしてアメリカ側にも資料がありますので、それらを読みながら、なぜ日本にやってきたのかということがわかってまいりました。
 昭和2年のあの時期、その前からですが、アメリカと日本の間で非常に大きな国家的な出来事がありました。事件といいましょうか、対立してお互いにけわしい状況になっていくことがあったんですね。そんな時代に、このままではいけない。アメリカで働いている多くの日本人にとっても、これは非常に不幸な打撃だし、アメリカと日本にとっても、このまま放置したのでは大変なことになってしまう。何とかこれを切り抜けていい方向に向けられないだろうかという、非常に良心的な気持ちで考えてくださる方たちがアメリカにもおりました。
 そうした良識ある市民の中の1人が、渋沢さんと手を取り合って日本に人形を贈りましょうという動きを築かれました。シドニー・ルイス・ギユーリック博士です。日本の大学でも教鞭(きょうべん)をとられて、今もたくさんの教え子が日本におられますけれども、同時にまた宗教者としてキリスト教の宣教師の仕事にも当たられた方なんですが、この方が20数年日本におりまして、日本を去るときに、自分のこれからの使命は日本とアメリカをつなぐ仕事、そのために一生を捧げたいというふうな気持ちで帰られました。
 この時期に日本移民反対の動きがあったわけで、そのために自分は全力投球しょうとしたのです。余りに日本人の味方になってあちこち講演したり、いろいろな動きをしたものですから、アメリカ側から家の中を知らない間に捜索されたり、スパイ扱いされたりというふうな、そんな目にあうぐらい一生懸命努力されたわけなんですね。

 

 

 こうして、アメリカの子供たちが日本へ行って、日本の子供たちとお友達になるということはとても難しいけれども、子供たちの身代わりに親善の気持ちと友情のメッセージを伝える、そういう子供たちの身代わりの人形を日本に贈りましょうという趣旨で、アメリカの子供たち、大人たちにも呼びかけて、日本へ友情の人形を贈る計画が始められたわけなんです。
 人形を贈ろうとした理由の一つは、日本にはひなまつりという行事があります。今、子供の日にも人形を飾ったりしておりますけれども、特別に人形に愛着を持って大事にする子供たち、世界のどこにもない人形のお祭りのある国、そのひなまつりのお仲間にアメリカの人形を入れてくださいね、そういうメッセージを持って贈られてきたわけなんですね。
 当時のお話では、埼玉県の全部の学校、まあ幼稚園も含んでいるんですが、そこへ1体ずつ全部行き渡ることはできませんが、どうやら数が少なくて、もらいたい人が多いときはどうするんでしょうか、じゃんけんでしょうか、くじ引きでしょうか。そうなんですね。何とくじ引きをしたという話が多いんです。
 こうして人形たちは迎えられました。そして渋沢さんたちはまた、お礼をという考えで、今度はアメリカヘ58体の答礼人形を贈るんです。人形たちが3月3日のひなまつりに来たので、日本からのお礼はクリスマスまでにと考えました。けれども日にちが短くて、しかもアメリカのようにお金を出し合って人形を整えるということはなかなか難しかったので、専門の人形師に頼みました。そして、ワシントンとかニューヨークとか、主要な都市と、それから各州に一体ずつ贈りましょうということで、本当に数は少ないんですけれども、1メートル近い大きな振袖の人形がつくられました。

 

 

 埼玉の子供たちも、人形をいただいた学校の子供たちが一銭ずつお金を出し合って、埼玉から贈る人形は名前がつきました。今、その資料が残っていますけれども、当時の6年生の女の子がお手紙を書いていまして、「このお人形の名前は秩父峰玉子です。秩父峰、埼玉のすばらしい山々、秩父の山々、それを名前にとって、そこから流れ出る清らかな水でお顔を洗って、玉のようなお顔なので玉子です」というふうな名前がつけられています。アメリカヘ行ったときは呼びにくいので「ミスサイタマ」になりました。
 こうして五十数体の人形は、その年の11月から12月にかけてアメリカヘ渡り、すばらしい日本の友情使節ということで、各地で大変な歓迎を受けて、その後は各地の博物館に納められました。
 そうした中で太平洋戦争が勃発し、昭和18年には、新聞に「青い目をした人形、憎い敵は許さんぞ」という記事が出ます。そして親善の人形と言ってきたけど、あれは親善の仮面をかぶったスパイ人形なんだ。あんなものを大事だと教育する学校の現場の教師は許されない。あれこそまずぶち壊してしまえというような新聞の記事なんです。そして文部省の偉い方が「そうすることは当たり前だろう」というような談話を発表しているのです。
 北海道のある学校で当時若い先生だった方から伺ったんですが、そこではある日人形を校庭に引っ張り出して、十字架のように組んでそこに人形をしばりつけて、竹やりでえいっと突いたというんですね。そしてその後、火にかけて燃やしてしまった。そしてみんなで勇ましい軍歌、戦争に勝ち残ろうという勇ましい歌を私たちも教えられたんですが、それを歌ってみんなで行進しましたという話を聞きました。

 

 

 でも一方では、「友情の人形」といって贈られてきた人形なのに、まさか人形を壊すなんて、何で人形に罪がありましょうかといって、そっと隠す方もいました。ですから、これは古びたただの人形じゃなくて、心を持って見たときに、その人形をとおして私はその軍国教育をたたき込まれた昭和という時代が見えてきます。
 そしてこれが友情の人形として贈られたものですから、ではどうすべきかという考えが、人形を見ることによって、こちらに送り返されてくるような、そんな思いで私は人形を調べていったわけなんですね。学校で、それから地域で、そして遠いまちの人たちと離れながらも協力して、皆さんがこの人形のことを強く伝え合って勉強しようという流れができています。
 埼玉でも私にいろいろご相談いただきました小学校の先生、高校の先生、教材として大事にしたいということで取り組んでおられる方がいるのです。
 今、全国で大事にされています人形は、埼玉は12体ですが、全国では、286体になります。この人形の映画をつくるときは270体ぐらいだったんです。ここにもありますよということで、まだまだどこかに眠っているかもしれません。また眠り姫が目を覚ますように、目を覚まして私たちに何か新しいお話を教えてくれるのではないだろうかと思っております。

 

(この講演内容は、平成7年度に行われた講演会の内容を掲載した「資料館だより」から転載しました。)

埼​玉​県​平​和​資​料​館​
 
 
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