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【開館時間】
午前9時~午後4時30分まで
(入館は午後4時まで)

休館日:月曜日

(祝日の場合は翌日)

年末年始(12/29~1/3)

【入館料】
 無料

 

風船爆弾(ふうせんばくだん)

 

風船爆弾(ふうせんばくだん)

風船爆弾(ふうせんばくだん)
 
 常設展示の中の幾つかの模型のうち、大きな気球に吊るされた爆弾が目をひきます。これが太平洋戦争末期アメリカ本土爆撃をめざして打ち上げられた通称「風船爆弾」の模型(7分の1)であり、この気球紙に使われた小川町産の和紙が、隣接ケースに展示されています。
 正式名称を「ふ号兵器」といい、昭和19年末から20年春にかけて、約9000発が千葉県一ノ宮・茨城県大津・福島県勿来の海岸から陸軍放球部隊によって打ち上げられ、約1割の1000発前後がアメリカ西海岸を中心に到達したと推定されています。
 これは高度約1万mを吹く偏西風が強まる11月~3月の期間を利用して、太平洋上8千kmを時速約200km、2~3日で横断してアメリカ本土を攻撃するもので、オレゴン州でピクニック中の子供達ら6名が死亡した事件をはじめ幾つかの事例が戦後判明しました。しかし、戦時中は住民のパニックを警戒したアメリカ政府による報道管制により、ほとんど戦果は伝えられませんでした。
 
 「風船爆弾」の構造は図のとおりですが、厳しい気候条件や総重量200kgに耐え、国内の原料で製造可能な気球の素材として、「和紙とコンニャク糊」が厳選されました。とりわけ楮(こうぞ)の長い繊維を持ち強度に優れた「細川紙」は最適とされ、この有数の産地であり東京にも近い点から、小川町の和紙が実験段階の早い時期から使用されました。
 「風船爆弾」は、満州事変後の昭和8年頃対ソ戦用兵器として関東軍によって研究が着手され、その後陸軍技術研究所等が中心となって開発が進められました。昭和18年以降太平洋戦争の戦局が守勢に回る中、アメリカ本土攻撃を可能とする残された手段として「ふ号」作戦が陸軍に正式採用され、翌年2万個の生産命令が下されました。
 この間、日本橋の紙問屋を通じて気球紙漉きをほぼ独占していたのが、小川町の生産者でした。極秘に進められた特殊な製法に対応するため、大変な苦労の末に規格に合った漉き方や道具が編み出されました。出来る限り薄く丈夫でムラなく大判で、と厳しい条件の中で試行錯誤が繰り返され、この間のやり取りを伝える軍関係者からの手紙も残されています。
 直系10mの気球一個に要する和紙は約600枚でしたから、2万個生産命令下の昭和19年以降、気球紙漉きは全国の和紙産地に展開し、また爆弾や機材の製造などに勤労動員された学生や女子挺身隊など多くの人々が生産に携わりました。
 平和資料館には、こうした資料や模型のほか、戦争体験者証言ビデオライブラリーの中で、気球紙工場長や紙貼作業に勤労動員された女学生、放球部隊で実際に飛ばした兵士など風船爆弾に関わる様々な県民の方の体験談をご覧いただくこともできます。
埼​玉​県​平​和​資​料​館​
 
 
埼玉ピースミュージアム
<<埼玉県平和資料館>>
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